世界史構造学習 3 古代オリエントの地理
時代
古代
地域
オリエント(現在の西アジア=中東=からエジプトにかけての地域)
キーワード→要旨文
オリエントの気候は、冬に雨が降るが、それ以外は乾燥する。
砂漠や山が多い。
人々の生活は、羊の遊牧と、沿海・河川流域の平野で小麦やオリーヴを作る農業。
ティグリス川・ユーフラテス川・ナイル川など大河周辺では、水量による灌漑により、文明が成立。
豊かなメソポタミア地方には、セム系の諸民族が侵入を繰り返した。
エジプト地方や地中海沿岸地方では、交易が盛んで宗教権威による文化が発展した。
歴史的思考
<古代→中世→近世→近代→現代>
ここでは、古代のオリエントに注目している。
この地域の、その後の歴史はいったいどうなったのか?
中世、西アジアからエジプトにかけての地域は、イスラーム教を掲げる王国に支配された。
近世も変わらず、イスラーム教を掲げる広大な領土を持つ帝国に支配された。
近代になると、欧米列強の植民地となった。
現代、諸国が独立した。
しかし米露中などの大国に翻弄されている。
さらに地中海沿岸にユダヤ人がイスラエルを建国し、イスラーム教の国々の真っただ中で異彩を放っている。
<ヨーロッパ(ローマ・ギリシア)⇔オリエント⇔南アジア・東アジア>
古代オリエントの東西南北は、どうだったか?
西にはヨーロッパ、直接にはギリシア地方。
古代ギリシアは、オリエントから強い影響を受けた古代文化を作っていた。
古代ローマは、広大な地中海沿岸地域を支配した。
東には、アジアの他の地域。
南アジアには、古代インド文明が成立。
東アジアには、古代中国文明が成立。
これらの地域にも、オリエントの影響が及んだ。
<冬に雨、春夏秋には乾燥>
太陽光が豊富で気温が高い肝心な時期に、乾燥する。
これはちょっと、どうかな?
洗濯物はよく乾くし、じめじめしていないので快適、カビもない。
しかし農作物が、夏の乾燥に強いものや冬の10度台(この地域は1ケタの気温にならない)で栽培可能なものに限定されてしまう。
<砂漠、河川流域>
乾燥し過ぎると土地は砂漠化して、土が風で飛んでしまう。
植物があることによって、その根が土を固め、水がそこに集まる。保水だ。
しかし乾燥すると、植物が生えない。
こんな場所では、人は住めない。
それなら正反対の湿地帯は、どうか?
雨が多くて、土がぐじゅぐじゅ。
植物は育つかと思いきや、逆に根が腐ってしまう。
とてもじゃないが農業はできない。
湿っていると病原菌が蔓延する。つまり、人は住めない。
けっきょく人が住めるのは、乾燥し過ぎていず、湿り過ぎていない、ほどよく乾燥していて、ほどよく湿っている土地だ。
なんとも中途半端だが、しかたない。
河川流域は、まさにそれだ。
とくにこのオリエントの大河川流域は、すぐ近くが乾燥していて、すぐ目の前に大量の水がある。適度にほどよく水を取るのに、最も適しているといえる。
<羊><遊牧>
羊と牛は、よく対比される。
羊は乾燥に強く、牛は湿潤気候を好むと、よく言われる。
それ以外の違いとしては、羊は少ない草でもよい(牛の10分の1の量で済む)が、牛は大量に(1日20キログラム)草を食べ、大量に(1日60リットル)水を飲む。
羊は長距離を移動する体力があるが、牛は体力がない。
羊は寒さに強いが、牛は寒さに弱い。
羊はあっという間に増えるが、牛はなかなか繁殖しない。
<山⇔平野>
山地のうち標高1000メートル以下の低山地域は、太陽光が豊富で雨がほどよく降り、木々が生い茂り保水力も抜群。
しかし残念ながら、地形の起伏が邪魔をする。
日本国内のいわゆる低山を地図で見てみよ。あるいは、実際に歩いてみよ。
登山道の分岐を少し間違えただけで、遭難確実。
斜面や谷が入り組んでいる。木が抜けたら、土も水も一緒に抜けてしまう。
畑は何とかできそうだが、広々とはできない。
安定した大量の収穫物を得るには、広大な平野が必要だ。
<麦>
日本では麦というと、稲・コメに比べ一段低く見られている。
この両者の違いは、どこにあるか?
農業的には、麦は乾燥に強く、冬でも温暖であれば栽培できる。狭い土地でも可能。
稲は、高温の湿潤気候でないとできない。水を溜められる広く平らな土地が必要。
人の栄養的には、麦は、コメに比べて、食物繊維・タンパク質・ビタミンBが多い。
コメは、麦に比べて、消化が良く脂質が少ない。玄米だとビタミンB1が多い。
人の運動的には、麦は、長時間の持続的労働に向いている。
コメは、急速に血糖値を上げるので瞬発的な労働に向いている。
人の体格的には、麦生活は肉やチーズと併用することが多く、大きな体格になる。
コメ生活は、魚や野菜と併用することが多く、敏しょう性のある身体になるらしい。
<オリーヴ>
これの果実からとれるのが、油。食用にしたり、化粧品にしたり、宗教儀式で使ったりと、用途は様々。
日本で食用油というと、菜種由来の油と、動物由来の脂がある。化粧品だと、石油由来のオイルもある。
ちなみに、オリーヴオイルは生で食べると美味しく、菜種油は揚げ物に良い。
気温が比較的高く乾燥した気候で選ばれる農作物の代表が、オリーヴ。
他の農作物には、柑橘(かんきつ)類やハーブ類、ブドウにナッツ類などがある。
日本でも、瀬戸内海沿岸が似た気候で柑橘類が特産となっている地域がある。
<ティグリス川・ユーフラテス川・ナイル川>
この3つの大河は、オリエントの大河トリオである。
メソポタミアの前2つの大河と、エジプトの後1つの大河。
<大河→水量が多い、平野を流れる>
これは前回のブログで出てきた。数が数を呼ぶというものである。
大河→多量の水→多量の収穫物→多数の人口→支配するされる→文明形成。
<灌漑(かんがい)>
川から水を取り込む施設による、水の、農業や人々への供給。
大河が流れているから大丈夫とはいえない。
川が深くて水を取るのに急斜面を降りなければいけないとかだと、水は取れない。
そういう場合、水を取れたとしても大量に上へ運べない。
こういう地形を克服するのが、パワーである。
支配者がそのパワーで多数の人を動かし、取水施設を作らせるのだ。
<豊かなメソポタミア地方←セム系民族が侵入>
これはメソポタミア地方の歴史の特色を、示す形容詞。
つまり、メソポタミア地方の周囲の諸地方は、豊かでなかった。
地形が、山、砂漠、高原。
そこに住んでいたセム系の諸民族が、何度も何度もメソポタミア地方に侵入を繰り返した結果、ここに安定した国家が長い間できなかった。
諸国ができては消え、消えてはできるを繰り返していた。
侵入の繰り返しは不安定であるが、他の面では常に新しいものが流入してきて刺激され変化するという効果もあった。新陳代謝というやつだ。
<セム系民族>
古代オリエントのほとんどの国の民族の言葉が、セム系だ。
エジプト系は、昔は「ハム系」と呼ばれたが、いまはセム系の遠い親戚だと判明している。
これ以外の語系には、インド=ヨーロッパ系がある。
後の欧米人は全て、これ。インド人も、これ。イラン人も、これである。
なお、セム系と印欧系とで言語がどう違うのかを調べてみた。
印欧系は基本となる語が基礎にあって、そこにパーツをつけて変化させる。
セム系は、3つの子音の並び順が固定した状態を基礎に、そこに母音をつけて変化させる。
・・・・なんか、よく分からないなあ。
印欧系は最初に主語が来る(彼がやったこれを)が、セム系は最初に動詞が来る(やった彼がこれを)らしい。
ちなみに日本語は(彼がこれをやった)謎言語である。
なお謎言語として有名なシュメール語も(彼がこれをやった)である。ただ日本語に比べ、構造がまるで違う。
<地中海沿岸地方>→<交易>→<宗教>
オリエントの諸民族で、片隅にいるが、存在感がハンパないというのがこの地方の住民。
メソポタミア地方とエジプト地方との中間点にある。
豊かな物質文明が少し離れて位置していて、その間にいるこの地の諸民族はしぜんに両者をつなぐ・仲介する立ち位置になった。
片方から安く仕入れ他方に高く売る、交易を中継して利益を上げることが盛んになった。
しかし日本の関西人の商売気質とは違い、この地域は東西から様々な人が入り乱れ行き交っていたので、この地域の住民は精神的に非常に不安定な状態だった。
その不安が、強い宗教心を生んだ。
さいごに
歴史的思考というより、雑談っぽくなってしまった。
でも、思考が広がらないと答えがすぐに出てしまい、雑談が続かないという。






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